おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.1 都会暮らし》 山崎洋子

May 28, 2003

botan.gif

「見習い音響ウーマン」

「五、四、三、二、一・・・・・・」
 張りつめた緊張感の中のスタジオに、秒読みの声が響く。ディレクターの「キュー」が飛ぶ。テープデッキのボタンを押す。テーマ音楽が流れ、タイトルが映る。
 私はかけ出しの音響効果マン、効果ウーマンの卵だった。

 本番前のスタジオの緊張感と張りつめた空気の中で、指先に神経を集中し、耳を澄まして音を聞く。レコードのターンテーブルをまわす。
 画面には海が光っていた。フランク・プールセル楽団の奏でる曲が静かに流れ、画面に大きくタイトルの文字が映し出された。太陽が金色の輪を放ち、海を照らし、濃紺の海面を赤く青く染めて波がうねっていた。薄紫の雲がたなびいて濃紫の空が広がっていた。 映し出させれた映像に、選んだ音楽がマッチして思いもかけない新鮮な画面が展開する。何とおもしろいことか。いつの間にか音響効果の仕事に魅せられていた。
 ある日のこと、効果スタジオのマイクの前に、しっかり巻いた大きなハクサイが置いてあった。お、今日は調理実習?!と思ったら、
 「よう、手伝うか」
 そう言って、テープレコーダーのボタンを押すと、先輩がスタジオのドアを閉めた。テープがまわり出した。
 何をするのかと思ったら、先輩はいきなり出刃包丁を握りしめて、思いきりハクサイに突き刺した。
 ブスッ!鈍く低い音がした。また突き刺した。何度か突き刺したあと、こちらを向いてニヤッと笑った。
 「取れたぞ!」
 何と、人を突き刺すときの刀の音を作っていたのだ。録音したいくつかの音を機械にかけて加工すると、先輩は満足そうに次の仕事に移ってる。こんどは床に板を敷いて、マイクの前でぬれぞうきんを力いっぱい叩きつけた。パシッとあたって、ピチャッというしぶきが飛ぶ。何度も何度も強さを変えて、気に入るまでぞうきんを投げつける。こんどは、ちゃんばらで返り血をあびた音だった。
 ある日のことだ。別の先輩がリールからテープを引き出して、次から次へとばらしていた。床には茶色いテープがシャラシャラとこぼれ山のように積み上げられて波打っていた。先輩は首をかしげてはつまんだり、揺すったりして波立たせている。三本、四本、五本、テープをばらして、それでも足りなくて、編集部から切り捨てた一六ミリフィルムを持ってこさせると、それを集めてひっかきまわした。まるでフィルムやテープのゴミの山をあさっているようだった。
 「何をするんですか」
 そう言っても教えてくれない。やがて、テープのシャラシャラした音と、フィルムのサラサラカラカラした音をそれぞれ録音して合成する。
 先輩が尋ねた。
 「これは何に聞こえる?」
 テープレコーダーから流れる音は、川の流れのようだった。流れの中にゆったりと泳ぐ魚をイメージさせるような音だった。そう言うと先輩はうなずきながら言った。
 「鯉のぼりだ。大空で風をきってゆったり泳ぎまわる鯉、そして、青い空にカラカラと風車がまわっている音だ。どうだ、聞こえるか」
 蒸し暑いスタジオの戸を開けて出てきた先輩は、額に大粒の汗を浮かべていた。
 音を集め、音を作る。不安な音、不快な音、心地よい音、心浮かれる音、何もないところに情景をイメージしながら音を作り、組み合わせる仕事は、まるで音をあやつる魔法使いのようだった。やり始めたらやめられない、ついついのめり込んで、時の経つのも忘れてしまいそうな毎日だった。


「いがぐり頭の青年」

 そんなある日、収録を終えてテープをダビングしていると、後輩の山越君が、久しぶりに大学時代の友人の山崎君を連れて訪ねてきた。山崎君は学生時代と同じようにいがぐり頭に、青いちゃんちゃんこを着て、黒い鼻緒のほおばをひっかけて、カラコンカラコン歩いてきた。日に焼けて真っ黒になった顔をにこにこさせて、私の顔を見ると、「よう!」と言った。
 久しぶりだった。いつの間にかキャンパスからいなくなって二年ばかり経っている。あれからいったい何をやっていたのと尋ねると、彼はいがぐり頭をボリボリとかいて言った。
 「まあ、いろいろと・・・・」
 万博の通訳をやっていたり、土方をしていたりしたのは知っていたが、今は福井の山の中で牛飼いのまねごとをしているのだという。
 「牛飼いのまねごと?」
 思わずそう言うと、
 「ああ・・・・」
 彼は豪快に笑った。
 山の中の一軒家で、牛飼い農家の手伝いをして暮らしているのだという。これから新しく百姓になって自分も牧場を始めるのだが資金が足りない。牛や土地を買うために資金カンパを募って友人たちをまわって歩いているという。
 眉も黒く太く、目鼻立ちがくっきりして以前より何だかたくましくなったようだった。日焼けした赤黒い顔に刻まれた、額の深いしわをほころばせて彼は言った。
 「牧場を開いて、軌道に乗ったあかつきにはカンパしてくれた友人に、会員になってもらって、ジャガイモやタマネギなど、とれた野菜を送るから」
 今でこそ会員制で野菜を送ってもらったり、牧場のオーナーになったりいろいろあるが、今からニ十年前(1970年)はとてもそんな優雅な時代ではなかった。東京オリンピックが終わって、減反が始まったところである。田舎の人々は、便利な生活を求めて、若者たちは他の職業にあこがれて、都会へ都会へと出ていった。
 先日ニ十数年ぶりに高校の卒業名簿を見せてもらったら、五百人 いた同級生の中で農業従業者はたった二人。一人はもともと農家の息子さん。そしてもう一人はまるっきり関係のなかった私。あんなに農家の長男や長女の友達がいたけれど、みんな他の職業についたり、田舎を離れたりしていた。農業をやめる人はいても、新しく始める人はほとんどいなかったのだ。
 この人、いったい、何を考えてるのかしらと私は思った。
 山崎君と最後に会ったのは、その二年ほど前のことだった。
 大学の古い権威主義の体質を打ち破り、地域に開かれた大学をめざして、学問の自由、研究の自由、大学の自治を叫んだ大学闘争の中で、学生たちは、当時、国会に提出された大学立法(大学の運営に関する臨時措置法等)に反対し、 大学解体を叫んで日本中のキャンパスを嵐の中に巻き込んでいった。私たちの大学も例にもれず学内はバリケードでおおわれ、キャンパスはアジテーションや学生たちのデモの声が飛び交い、けん騒の中に包まれていた。学部では自主講座が開かれ、クラス討論やサークル討論が行われた。大学の講義は閉鎖され、学生たちはデモに、アルバイトに、討論に、それぞれの日々を送っていた。

 そのキャンパスにようやく静けさが戻ったとき、彼は言った。
 「俺はもう、大学で学ぶことは何もなくなった。今日限りこの学校をやめる。やめて旅に出る」
 人気のないキャンパスには木枯らしが吹いて、赤く色づいたつたの葉がカサコソと舞っていた。「全共闘、大学立法粉砕、大学の自治を守れ」ストライキの立て看板の紙が破れ、赤い文字がパタパタとあおられていた。昨日までデモっていたのがまるでうそのように、先輩や仲間たちは卒論や教職、そして就職を目前にひかえ、会社訪問や就職試験に忙しく走りまわっていたが、大学をやめてこれから旅に出るという彼の頬は上気していた。
 あれから、もう二年。
 「何でわざわざ山の中で、牛飼いやるの」
 私が尋ねる。
 「都会生活というのは。お金さえ出せば欲しいものが何でも手に入る。電車に乗れば行きたいところへどこへでも運んでくれる。ボタンを押せば明かりがつくし、蛇口をひねれば水が出る。スイッチをまわせばガスが出るし、火もつく。何もかもがありすぎて、自分がほんとうに何が欲しいのか、何がしたいのか、わからなくしてしまう。

大学を卒業して、働いて、結婚して子供ができて、何十年が過ぎていく。物はあふれているが自分に必要もないものばかり。そんな物に囲まれて、自分のやりたいことが何であるかもわからず、ただ一生を終えてしまう。これじゃあまりにもむなしいじゃないか。
 何もいらないから、眠りたいときに眠り、食べたいときに食べ、働きたいときに働いて、遊びたいときに遊ぶ。自分が生きているという実感の持てる生活がしたいんだ。
そのためには、だれもいない山の中で百姓をするのが一番だ。牛を飼って、牛糞を堆肥にして畑に入れる。野菜を作って、自分の食い物は自分で作る。明かりが欲しければランプをつける、水が必要なら井戸を掘る、必要なものを必要なときに一つ一つ自分の手で作っていく。夕日が沈んだら家に入り、ランプの明かりで本を読む。朝日が昇ったら外で働く。雨が降ったら体を休め、夏は海水浴、雪が降ったら冬はスキー。必要なものを確かめながら納得できる生活をしたいんだ。百姓じゃ食えんと言うてやめたり、都会へ出ていく者が多いのは知っているけど、自分一人食べていくくらい、何とでもできるやろ。農業は人間の生きていく基本や。百姓やりながら、自分に何ができるのか、何をせなあかんのか見てみたいんや。だれか百姓をやるもんもえんと、食べる者と指導する者ばかりじゃ、この国も確実に二十年先はだめになるやろ」
 そう言って彼は、あははは・・・・・と笑って言った。
 「おかしいか」
 「いや、おかしくはないけど、あなたが否定するものはみんなが必死に求めてきたものばかり。それを求めていくことで、この国がだめになるって、ほんとう?!」
 「ああほんとうさ。どこか狂ってる」
 「なぜ?!」
 「山の中で暮らしてみるとよう見える。農業やるとようわかるわ」
 そう言うと、彼は冷めてしまった砂糖の入っていないコーヒーをすすった。
 そうか、そういう生き方もできるのか。彼の言葉は新鮮な驚きだったが、疑問が一つ残った。他人や物に頼らない生活をするというのに、なぜ、最初から他人のお金をあてにするのだろう・・・。
 私にはお金の余裕はなかった。
 「今は見習い同然だから、カンパしてあげられるお金なんて全然ないの。毎日食べるだけでやっとなの」
 実際、部屋代と水道、光熱費を払って、定期を買うと食費だけで目いっぱいだった。それでもなけなしの給料と時間をやりくりして、映画を見て歩いたり、本屋を歩きまわっていた。
 考えてみれば、今まで便利だと思っていた都会の生活はすべてお金で動く生活。本屋へ行くにも映画館に行くにも、電車やバスに乗る。アパートにいるだけでも、電気やガスも水道も黙っていても基本料金が出ていく。すべてが消費につながり生産性がない。田舎は違うという。食べ物でも何でも工夫すれば自分で作る材料がいっぱいころがっている。清算できる場があるというのだ。そうか、便利な生活というのは生産性がない消費の生活なのか、ふっと心に生じた疑問だった。
 「それにしても、自分の牧場つくるのに、どうして最初から他人のお金をあてにするの。そんなんじゃ思いどおりの牧場なんてつくれやしないわよ。ほんとうにやりたいなら自分で働いて稼ぎなさいよ。牛一頭、畑一枚からでいいじゃない。少しずつやって自分の力をためて確かめておきなさいよ。やるだけやってだめだったら、また、考えればいいじゃない。初めっから他人のお金をあてにするなんて、言ってることとやってることが違うじゃないの。みんなだれだって食べるだけで精いっぱいなんだから、他人のお金をあてにして牧場つくったっていいことないわよ」
 今まで黙ってにこにこしながら私たちの話を聞いていた後輩の山越君が、急に口をはさんだ。
 「せっかく福井の山の中から夢を描いて上京してきたというのに、牛も土地もそんなに簡単に一人の力で買えるもんじゃないんです。そんな冷たいことを言わなくてもいいでしょうに。冷たい人ですね・・・・・」
 口をとがらせて、ぷりぷりして立ち上がると、
 「先輩、帰りましょう。今日はだめですよ」
 そう言って喫茶店を出ていった。
 ごめん・・・・と言ったが、もう遅かった。
 ところが、そんな後輩の姿を見ながら彼はにこにこ笑って言った。
 「断られてあたりまえさ。またな!」
 彼は後輩のあとを追って新宿の雑踏の中に消えていった。
 コートのえりをたて、肩をこごめ足早に家路を急ぐ人。ジャンパーのポケットに手を突っ込み、足どりも軽く横断歩道を渡る人。腕を組み、寄り添い歩く若者たち。排気ガスと雑踏の中、都会に群れたがる人々の多い中で、都会という作られた巨大な文明に背を向けて、たった一人、自分の力を試して田舎で、山の中で百姓をするという。こんな生き方もあるのかと、私は不思議な気持ちで雑踏の中に消えていくげたの音に耳を澄ましていた。 
  
・・・・・つづく

←back next→


Posted by おけら牧場 ラーバンの森 | Trackback (0)