おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.2 虚構の世界》 山崎洋子

May 28, 2003

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「突然の病」

 慣れてしまえばそんなものかもしれないが、限られた時間の中で、次から次へと小刻みに神経を働かせ、時間に追われ、番組を作る仕事は、不規則な仕事だった。仕事が不規則になると、生活のリズムも、食事時間もそれにつれて不規則になる。
 朝は時間ぎりぎりまで眠り、パンにバターをぬって、牛乳を飲むと、リンゴをかじりながら飛び出していく。昼は近所の食堂で、時間を見ながらラーメンや、うどんかそばをかっ込む。せいぜいゆっくり食べて、野菜いためかニラレバーいためライスか定食。夜はときどき先輩や仲間たちに誘われて飲みに行く。食べても焼きとりか焼き肉かおでんだ。たまには友達からの誘いの電話がかかってくる。材料を買って自分で食事を作るということが少なくなった。いつの間にか食べ物が偏ってきた。
 

 しかも、スタジオや事務所の中は、外は木枯らしが吹いているというのに、セーターやブラウス一枚でも暖かい。ところが、蒸し返すような暑い夏でも建物の中は長袖の上着を着なければいられないような涼しさ。およそ自然とはほど遠い生活だった。こんな中で、早く一人前になりたくて仕事にのめり込んで、自分の体を顧みなかった私は、とうとうバチがあたった。体をこわしてしまったのだ。
 入社三年目の夏も過ぎたある朝のこと。何となく体がだるくて起きられない。背中と腰が重く、全身が気だるくて、気力が満ちてこない。こんなはずじゃなかったのに、貧血でもひどくなったのかしらと思い、なるべく休みの日は仕事や友達との約束を断って、体を休めるようにし、それでも働き続けた。
 ところが、冬に入ったある日のこと、風邪をひいて近所の病院に出かけた。尿検査をするからコップにおしっこをとってくるように言われた。コップにとった尿を見て驚いた。何と赤茶色をしているではないか。腎出血だった。すぐに入院。絶対安静だという。
 入社して三年目を迎え、やっと一人前に何とか仕事をこなせるようになったのに、やりかけた仕事を途中で放り出すというのはたまらないことだった。しかも、半年続いた大事な仕事が、あと一週間で終わるというときのことだ。もう少しがんばってみようと思うのだが、医師から入院するように言われた途端、不思議なことにそれまで動いていた体が、鉛のように重くなって動こうとしなかった。
 母に電話をした。すぐに帰ってこいと母は言う。
 「東京なんか行かんでも、家の仕事をしりゃあええ。醤油屋をすりゃ一生食いっぱぐれはねえ。家にいても好きなことは何でもできる。わざわざ、東京で女一人で暮らすこともなかろう。長女のおまえが婿さんもろうて、家の跡をとらんと、家もおさまらんやろ」
 東京で就職することに反対した父に反発して、
 「自分の人生は自分で決めるわ。生きたいように生きる」
 そう言って仕事に就いた私だったが、父や母に大見栄をきった手前、病気になったからといっておめおめと家へ帰るわけにはいかない。けれども、それ以上に、見渡す限り都会のコンクリートジャングル、見知らぬ人々の中で、いつ治るか知れない病んだ体を、病院のベッドにひとり横たえているのは、もっとたまらないことだった。
 父や母に話して、家へ帰って休ませてもらおう。仕事を離れてもう一度、がむしゃらに過ごした七年間の都会の生活をふり返り、自分の生き方を見つめなおしてみよう、そう思った。


「ベッドの中で見つけたもの」

 北陸の春先の陽光がやわらかに射し込む病院のベッドに横たわって、耳を澄ましていると、体中の一つ一つの細胞が、キシキシと音をたてて、反乱を起こしているようだった。内蔵の一つ一つが声をたてて、何か叫んでいるようなのだ。今まで気にもとめなかった、それぞれの臓器が、臓器を作る一つ一つの細胞が互いにかかわり合い、助け合って、私という人間が生きているということを訴えているのだ。一つ一つの細胞が回復するために、ただただベッドに横たわって、食べて眠るだけ。眠って食べて排泄して、人間の生きる原点から、すり減らしてしまった心と体の闘病が始まった。
 なかなか尿の中の赤血球は減らない。天井の白い壁の穴模様を教えながら一つ一つの記憶で埋めていく。いくつ数えても、いくつ埋めてもなかなか今日が終わらない。検査だといって、毎日のように看護婦さんが血をとっていく。注射器を持つ看護婦さんが吸血鬼のように見えてくる。
腎生検、腎機能検査、レントゲン・・・・・検査ばかりの日が続く。何もできず、何もせず、怠惰な無為な時が流れるようでたまらない日々が続いていた。
 そんなある日のこと、向かいのベッドに寝ているおばさんがテレビのスイッチを入れた。突然、画面に黄金の海が輝いて懐かしい曲が流れてきた。入院前に収録しておいた番組だった。静かな夜の病室に流れるドラマのメロディーが哀切をおびて、心に深くしみてきた。私は体を起こして、わくわくしながら見つめていた。
 突然、音が消えた。
 闇の向こうに看護婦さんの白い姿が浮かんだ。巡回の時間が近づいて、テレビの音をしぼったのだ。音のない画面で、役者さんたちが口をパクパクあけて動いている。
 今まで盛り上がりをみせていた画面が突然、迫力をなくして色あせてみえた。あそこにはあんなせりふが、ここにはこんな音楽があったと思うが、色あせた画面からは何も見えず、何も語りかけてこない。スイッチ一つで簡単に消されてしまうテレビの世界、消されてしまったら最後、もうその作品は私たちの目の前には出てこない。そんなことは百も承知で始めた仕事だったのに。自分の体をぼろきれのようにすり減らしてまでやる価値がある仕事なのだろうか。いっしょうけんめいに、夢中でのめり込んでいた仕事がこんなものだったのか・・・・・。
 画面の向こうに、スタジオで働いているたくさんの人たちの姿が見えた。あの人たちは、今もこうやってそれぞれの仕事に一喜一憂しながら働いていることだろう。
 テレビという虚構の世界の中で、他人の生活や出来事を追いかけて、いつの間にか自分自身の生活がなくなって、根無し草のように日常の感覚がまひし、鈍化し、溺れていってしまう。
 ほこりっぽいスタジオの中で、マイクの前で、創造とはおおよそ似ても似つかぬ情報が渦巻き飛び交う社会。そこでは、すべてのものが形を整え、計算され、とりつくろわれ、たちまちのうちに消え去って、人間さえも消耗品にしてしまう。
 こんな中で生きていっていいのだろうか。はたしてこんな生き方をしてしまっていいのだろうか・・・・。
 ベッドの中で私は、そんな疑問が重く深く心の中によどみ沈んでいくのがわかった。

・・・・・つづく

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