おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.4 父の死》 山崎洋子
May 28, 2003
「父の言葉」
体が動き出すようになると、猛烈に仕事がしたくなった。テレビの番組を作るという虚構の世界の中で働くことが、ほんとうに虚構なのかどうか、もう一度確かめたくて、休んでいる間に考えていたことを仕事の中で生かしてみたくなった。それでだめならまた考えよう。いそいそと旅立つ用意をしたいた私の傍らで、帳簿の整理をしながら眺めていた父が言った。
「東京行かんと、一緒に家におらんか。醤油屋が嫌なら、おまえはせんでもええ。学校の先生でも、何でも好きなことすりゃええ。醤油屋は婿さんにやってもらえばいいやんから。どうや家におらんか」
うしろ姿がいつになく寂しそうだった。今を逃せば、父とじっくり話し合う機会ももうないだろう。これまで同じことを何度、言い合ったことか。それでもきちんと話し合っておかねばならなかった。
「醤油屋さんが嫌というわけではないんや。ただ、それが自分で一生を賭けてできる仕事かどうか、もっといろんなものを見て、いろんなことをして、自分が納得できる仕事をつかみたいんや。とりあえず音響効果の技術を身につけたから、一人前になりたいんや。女でも仕事を持って生きたいの。できれば音の技術を身につけて、映画をとりたいと思ってるんやけど。このまま途中で放り出したくないの」
「映画なら、醤油屋をやりながらでも、まこと作ろうと思うたら作れる。結婚しても、家にいれば、子供をおいて仕事にも行ける。別に東京なんか行かんでも、ここにいれば何でもできる」
そう言って、父は帳簿整理の手を休め私の顔を見た。私は黙っていた。家にいると、家や親のフィルターを通してしか社会とかかわりが持てず、どんなに自分の頭で考え、自分の足で歩いていける人間になろうと思っても、ぬるま湯の中であがいているようなものだった。
「もういっぺん音の仕事に戻ってみるわ。それが自分に合っているかどうかと言われても疑問やし、何か人のために役立つかと言われても疑問やけど、とにかく探してみないことにはわかんない。音の仕事をしながら納得できる自分の生き方を探してみるわ」
そう言うと、父はがっかりしたように、けれども何だかほっとしたように、丸い目をしばたかせて言った。
「そうか、そんならもう言わん。おまえの人生や、おまえの好きなようにせいや。だれもおまえの人生を代わってやることはできんのやから。せいぜい生きても人生あと50年や。けどな、自分の心のままに、自分に正直に、好きなように生きるというのは、いちばんむずかしいことや。それができるんならしてみい。醤油屋なら、何とでもなるやろ・・・・。おまえの好きなようにせい・・・・。体だけは気いつけや」
そう言って父は、背を向けて書類の整理を始めた。
「大事なもんはこの箱の中に入っとるから、覚えといてくれや」
涙がとめどなくあふれてきた。
おまえの好きなようにせい、思いがけない言葉だった。あらためてそう言われると、ほんとうはうれしいはずなのに、突き放されたような寂しさと、ひとりぼっちで置き去りにされたような悲しさがこみあげてきた。
「生きることのむずかしさ」
物心ついてから、おまえは長女や、醤油屋の後継ぎや、そう言われ続けて、どうやって自分自身、心のとらわれから自由になって生きられるか。両親や祖母、親戚の人たちに逆らってどこかで意地になって突っぱって生きてきた私に、父の言葉は思いがけないものだった。呪縛がとけて気がつくと、心の中に大きな穴がぽっかりとあいていた。私はいったい何のために今まで父に反発していたのだろう。それぞれの所帯を持ちながら、わがもの顔に出入りし自分の家のことのように口出しする叔父や叔母、口うるさい親戚、なぜ、その人たちのために、本家を維持するために家を継がなきゃいけないのだろう。だれかががまんして犠牲になって生きなきゃいけない家などないほうがよい。一人一人、自分の人生を納得して、充実して生きるほうがずっとたいせつだ。そう思って、家そのものに反発してきた。
ほんとうは日本の家族制度、家そのものが悪いのではなく、そこに集う人間が自立していないのだと思う。田舎の本家が強ければ強いほど、子供たちをその周囲にはべらせて、家という大きな傘の下で囲ってしまう。そこは自ら雨風にうたれることはなくぬくぬくと暮らしていける。家に集うことによって家を頼り、自分の頭で考え、自分の足で歩くことのない、自立しきれない人間をつくってしまっていることが問題なのだ。そんな中で自分が暮らしていくことは許せなかった。
けれどもそれらは、みんなどうでもいいことだった。反発して、逆らって気がついたら、自分の中には何もなかった。私は今までいったい何を求め、何をあせっていたのだろう。私も大きな家という傘の下で甘えている人間にすぎなかったのだ。
愕然として父のうしろ姿を眺めた。すっかりやせていまった父の背中には、生命の炎がちょろちょろとやっとともっているようだった。その心もとなさに胸が締めつけられるようにキリキリと痛んだ。生きていることが寂びしくて、哀しくて、涙があふれてくる。父の瞳もうるんでいた。
一週間後、突然、父は亡くなった。
心臓の発作を起こしたのだ。いつかはくるものと予期していたこととはいえ、それはあまりにも突然だった。家の中は、だれも何も手がつかず、とまどいと悲しみに満ち満ちていた。毎日、毎日、ただ茫然と日が過ぎていく。
父の逝ってしまった家、だれも口には出さないけれど、その目が、おまえはどうするのと問いつめている。このまま家にいれば、すんなり醤油屋さんになってしまうことだろう。それでは、父と話し合ったことは何だったのだろう。しばらく家を離れて考えることにした。夜明け前、まだ皆が寝静まっている間に、店の木戸をそうっとくぐりぬけて駅へ向かった。北でも南でも、最初に来た列車に乗ろうと思った。三番線に特急が入ってきた。京都で降りるあてもなく歩いて山陰線に乗った。城崎、鳥取、島根、山口・・・・・10日ほどして家に電話を入れた。
「もうお母ちゃんはだいじょうぶやから、帰っておいで」
久しぶりに聞く母の元気な声だった。
私はこんなところをほっつき歩いて何をしているんだろう。自分の人生、自分で歩いていくと決めたばかりではなかったのか。
母と話し合ってもう一度、仕事に戻ることにした。母や妹たちへの申しわけなさで心が押しつぶされそうだった。自分の身勝手さ。心のままに、自分に正直に生きることのむずかしさをかみしめていた。
・・・・・つづく






