おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.6 恩を返していく人生》 山崎洋子
May 28, 2003
「家族の猛反対」
仕事をやりながら結婚するしか方法がないかしら・・・・。結婚も仕事も子育ても、みんなやりたいと思っていた。けれども、東京と福井では、通うのには遠すぎる。
「どうしよう」
彼に相談すると、彼は事もなげに言った。
「仕事しながら結婚すればいいじゃないか。結婚しても、別に一緒に住む必要なんてないんだから、きみはきみでテレビの仕事をすればいい。俺は俺で、三国で百姓をやってるから」
なるほど、彼の言うことはときどきめちゃくちゃだが、妙に納得させられるものがある。結婚するからといって、別に一緒に住む必要はないのかもしれない。会いたいときにお互いに連絡をとり合って、どこかで会いさえすれば、気持ちは通い合うだろう。
『別居結婚』は、仕事を持つ女が、仕事と結婚生活を両立させる一つの方法のように思われた。
ところが、いろいろ悩んでいる間に、彼は実家のほうへ結婚を申し込みに行ってしまった。家の中はてんやわんや。祖母は猛反対。妹が怒って電話をかけてきた。
「姉ちゃん、いったいどうなってるの。姉ちゃんが、だれにも相談せんと勝手なことばかりするから、家の中はめちゃくちゃや。いったいどうするつもりなんや」
次の日曜日、急いで小松へ帰った。
今までのことや、これからのことを妹たちを交え、母とじっくり話し合った。妹たちや母は納得してくれたが、祖母は納得しなかった。親戚もみな反対だった。叔父さんたちが、わざわざ三国の山の中までどんなところかと見に行った。ところが、山の奥の林の中、電気も水道もきていない。隈でも出そうな山の中で牛を飼い、畑を耕しながら暮らしている。あんなところは、とても人間の住めるようなところではないといった。
「そらみたことか。電気もないような未開の地へ、何でおまえをやったりなんかできるものか。そもそも、この醤油屋をどうするつもりや。私が生命を賭けて守ってきたこの醤油屋を、おまえはいったいどうするつもりなんや」
祖母は、私を前にすると、白髪をなでながらきちんと座ぶとんに座りなおして言った。その目は激しく私をなじっていた。
「この醤油屋は、おまえ一人のためにあるんやないんやぞ。家族やら親戚縁者一族のために、そして小松中の人々のためにあるがや。醤油屋をしとるおかげで、どんなときにも安心して食べるものを食べて暮らすことができたんや。おまえや妹たちを大学へやることができたのも醤油屋のおかげや。おまえがやらずにだれがやるというんや」
祖母の言うことはもっともだった。
「わざわざ山の中の百姓の嫁にやるなんて、何のために大学まで出したんやら。先生になるまでの勉強をさせたことやら。今までの親のせっかくの苦労が水の泡や。電気も水道もないような山の中で農業をやるなんて。みすみす孫娘が不幸になるようなことはさせれん。それに、おまえらのお父ちゃんが亡くなって四ヶ月余りしかたっとらんのに、そんなことを言い出してきて。私が反対せな、この家を守りきるもんはだれもえんがや。私は絶対に許さん」
祖母はかんかんに怒っていた。何としても納得させれなかった。女が結婚するということは、今まで育ててもらった家族を捨て、ときには嫁ぐために自分が抜けることによって、仕事の仲間たちを裏切ることにもなっていた。
親や兄弟、姉妹、祖父母に背を向けて、仲間を裏切ってまで、一緒に生きていく結婚とはいったい何なのだろうか。胸がはりさけそうだった。心臓がちくちく痛んで、毎日針のむしろに座っているようだった。祖母や親戚中を納得させ、母や妹たちを安心させるために醤油屋の跡を継いだらどんなに楽なことだろうか。すべては丸くおさまることだろう。だが、そんなことをしたら私自身どうなるだろう。一時、今はそれでいいかもしれない。だが、一生しれでがまんできるだろうか。私は何のために生まれ、何のために生きているのか。
祖母を説得できなくて、大きな壁に突き当たったまま、毎日仕事をしながら悶々とした日々を過ごしていた。
「祖母の一計」
それから三ヶ月ほど経ったある日、小松にいる妹から電話があった。
「姉ちゃん、山崎さんが約束どおり電気を引きました、って言いに来たんよ」
この前、結婚の申し込みに来たとき、祖母がこういったのだという。
「あんちゃん。家の跡取り娘を連れていくとは何事や。まこと欲しかったら、山の中に電気ぐらい引くまっし。電気を引いたら、その話もういっぺん考えてあげるさかいに」
それから三ヶ月。彼は電気を引くために必死になってがんばったらしい。電柱一本につき当時で10万円。最低八本の電柱を立てねば電気はこない。そのうち三本までは電力会社が引いてくれるが、残りの五本は自己負担だ。合計50万円。一日働いた労働がたった3000円。月にせいぜい7万円の稼ぎができたときのこと、その中から50万というお金をひねり出すのは並大抵のことではなかったろう。しかも電柱を立てるには他人の土地を借りねばならない。今から思えば見ず知らずの人の了解をとり、土地を借りることは、見知らぬ土地で農業を始めた彼にとって、金銭問題よりもっとむずかしいことだったに違いない。
けれども、電気が引けたと言ってきたというのだ。妹が電話の向こうで笑いながら話している。
「ばあちゃんは、開いた口がふさがらないと言って機嫌が悪いんよ。でも、もう反対する理由がなくなってしまったみたいやわ。山崎さんは電気が引ければ結婚してもいいと言ったんだと思ってたらしいんよ。ばあちゃんが引けるはずのない電気の件を持ち出して、結婚したいのなら電気を引いてからもう一度、出直してこいと言ったのを、山崎さん流に都合よく解釈して、ばあちゃんに迫ったみたい。ばあちゃんの負けかもしれんわ」
妹は楽しそうに笑う。電話の向こうで、妹なりに結婚するということの意味をしっかりと考えているようだった。
私も、いよいよ自分の気持ちをはっきりさせ、心を決めるときがきたようだ。次の日曜日、彼と待ち合わせて小松の家の門をくぐった。
祖母はもう何も言わなかった。母は、山崎君ならいいと許してくれた。妹たちもそれぞれ、自分の結婚と照らし合わせて何かを考え初めているようだった。
結婚というのは、今まで両親のもと、家族の中ではぐくまれてきた娘や息子が、こんどは自分の足で歩き出し、新たな人生の中で自分たちが、それぞれの子供や家族をはぐくんでいく、巣立ちのときなのだ。家族という大きな温かい傘の下に庇護する立場にたって生きていくときなのだ。そこにはいいかげんな妥協や甘えは許されない。人間初めて孤独を知るときなのかもしれない。
そう思ったら、肩の荷が軽くなった。今は何もできないけれど、母や祖母、妹たちが困ったら、どこで何していても、どんな生活をしていようと何かあったら必ず飛んでこよう。そのときどきに、私のできることは何でもしよう、それが私の役目なのだから。父もきっと許してくれるに違いない。
「新婚旅行」
五月の晴れた日、二人で三国の町役場へ結婚届を出した。
役場を出ると、九頭竜川に沿って三国の町を歩き始めた。潮風のにおいが鼻をついた。軒先の干しがれいが港のにおいを漂わせる。家々の玄関先で、おばあちゃんたちがむしろをしいて、台の上に包丁を逆だて、ラッキョウのへたを切っていた。港のそばの岩壁に、あぐらをかいて、漁師のおじさんが漁網のつくろいをしている。浜ではよしずを広げ、おばさんたちがていねいにワカメをのばして、天日に干していた。
潮風が、干物のにおい、ラッキョウのにおい、ワカメのにおいを運んできた。穏やかな日本海の海がどこまでも広がっている。私たちは坂道を上り、松林をぬけて東尋坊まで散歩した。
これが私たちの新婚旅行だった。
それから再び、それぞれの休みをとっていろいろなことを話し合った。
ところが会えば会うほど、別々に離れて生活しているのが不自然になってきた。ほんとうに話し合いたいとき、相談にのってほしいとき、そばに相手がいない。彼が困っているときや、まいっているとき、めいっているときにそばにいてあげられない、それはとても不都合なことだった。
生活というのは、お互いに同じ土俵にたって、共に何かを築いていくことではないのか。二人の関係も、毎日語り合い、確かめ合いをしなければ、いつの間にかうすく、かげろうのように揺らいでしまう。離れて暮らしていると一緒にいると見えないたいせつなものが見えてきた。結婚生活とは一日一日の二人の積み重ねの日々なのだ。二人でいられる日々をたいせつにしなかったら、他に何を大事にするものがあろうか。
私は自分の仕事をやめて、彼とともに農業に飛び込むことにした。これが自分の望んでいるものだというものを、私たちの夢を山の中で創っていくことにした。お金がなければないで何とかなるだろう。必要なものはみんなあとからついてくるだろう。
音の仕事とさよならすることにした。
今まで育ててもらった父や母、そして祖母や妹たち。仕事でお世話になった先輩や仲間たち。大学まで学ばせてもらい、好きな仕事につきながら結果的にはみんな裏切ることになってしまった。直接、この人たちには何のお礼もできないけれど、このお礼は、これから自分の生きていく中で、私のまわりの人々に返していこう。私がみんなからもらったものを、他の人々に返していこう。そう心の中に刻み込んだ。
それから半年後の74年11月、私は三国へ移り住んだ。
・・・・・完






