おけら史:さらば、おけら山荘 《vol.3 根っ子のない家》 山崎一之

August 11, 2003

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(1)


「キーン、コーン」
 樹々の間に鋭い金属音が木霊する。
梅雨入り前の穏やかな日々の中、鳥や虫や草花たちさえも、のんびりと一日を満喫しているかのように見える。
「キーン、コーン」
 世の中の流れがたとえどのように澱みなく安らかに流れているかのように見えようと、その流れに乗り切れない異質の人々がいるものである。
 どうみてもこの山中で、ハンマー片手にノミを振り下ろしている姿は、やはり、まともな人間の姿には見えたりはしない。
 まともに見えようが見えまいが、そこで生活している人々はその生活が全てなので、例えどんなに山深い豪雪地帯に住もうが、どんなに超過密都市の馬鹿馬鹿しい生活であろうが、本人たちがそれでいいと思えばいいのであって、人の物指しなどは当てにならないものである。

「キーン、コーン」
 今日は珍しく在所の高校へ通う林君が、遊びがてら手伝いに来ている。
「どんな生活でもいいけど、自分の納得のいかない、虚しく、馬鹿らしい生活だけはしたくないのお。」
 ハンマーを振りながら砕けた岩を寄せ集めている林君に、私は年長らしく、確信に満ちた、人の生き方を語りかけようとした。
「あれえ」
 林君はすっとんきょうな声をあげると、オーバーに
「山崎さんのこんな生活が馬鹿らしいんと違うんですか。」
と、言下に言われてしまった。
「あほ、次元が違うのが判らんのけ。」
と、言ってみても、正直な高校生の眼には全てを見透かされてしまっているようだった。
 十五年後、林君は、
「山崎さんらでさえ百姓で食っていっているんだから、俺が百姓を始めても食えないわけがない。」
 と、脱サラして農業を始めることになるのだが、この時点では、お互い、そんなことになろうとは夢にも思っていなかった。

 それにしてもこの土地は一体何という土地なのだ。
 井戸掘りの時には岩盤まで一メートルはあったものの、家を建てる予定の所には、岩盤が剥き出しになっている。
 基礎コンクリを打つために、父が張ってくれた水糸通りに溝を掘ろうとするのだが、計五ヵ所、全くスコップでは一センチも掘れない個所がある。
 十センチも掘ると岩盤に突き当たる個所は無数で、とてもじゃないが、幅三十センチ、深さ三十センチの溝など掘りきれるものではない。
 井戸を掘る時は末広がりに掘っても構いはしなかったが、今度はそうもいかない。
 出来るだけ真四角に掘らねばならない。
 つるはしなどは、「カキーン」としか言わない。
 又々、使い慣れたのみとハンマーの登場である。
「親父さん、こんなの無理だよ。」
 基礎は溝を掘って型枠を組み、コンクリを流して打設するものだと、父は思い込んでいるふしがある。
 私たちにはたっぷりと時間はあるが、お金は無いのだ。
 これだけが、今、唯一、自信をもって言える事である。

(2)


 そもそも、基礎コンクリートを打つために仕事をするのは気が乗らなかった。
 例え、基礎打ちの溝が出来たとしても、コンクリートを買うお金をどうするか、
お金を使うためにわざわざ仕事をするのはどうも納得ができない。
お金を使わない為に仕事をするのではなかったか。
 この虚しいまでの岩を砕く作業は、私が言い訳するには非常に都合が良かった。
 さすがの父もいい加減、嫌気がさしていたと見えて、素直に私の言った事を考え込んでいるようだった。
 父の仕事はいつも四角四面。
頑丈の上にも頑丈、それがモットーである。
 ところが、ここではそうもいかない。
穴掘り一つ、四角く掘ることが出来ない。
ましてや相手が私では、と、最近では少しずつ、現実に目覚めつつあるようだった。
「カズユキ、穴をみんな埋め戻せや。」
 溝を掘り始めてからすでに数日経っていた。
「何をするんやの。」

 父の世代は殆ど協議というものはやらない。
自分より腕が上か下か。
金持ちか金持ちでないか。
全てはそこに帰結する。
腕が落ちれば、腕の良いものの言う事に従う。
腕の悪い者は良くなるように、あらゆる努力をして追い越していく。
 日本の文化の確かさと合理性の源は、全てここに起因している。
農業技術にしても職人技術にしても、世襲制であれ徒弟制であれ日本人の精神性はここから創られて来た。
 その上下関係が一般社会での上下関係になり、社会の隅々にまで縦の社会構造が出来あがってきたのだ。
 しかし、日本の本流とも言える流れが、父達自身の手により、戦後経済復興という名の下の高度経済成長によって、音をたてて崩れていく姿を、私はついこの間まで都会で見てきた。

 確かさと合理性を追い求めた日本の伝統的合理主義が、戦前の『大和魂』という精神風土にすりかえられ、第二次世界大戦でその精神主義が敗れると、手の平を返したように今度は『遅れてはならない』と国民全てが合理性に走っていった。
 経済合理性は、日本人が数千年かけて築いてきた日本の文化を根底から覆していった。
 日本はおろか世界の経済を範疇化した戦後のマクロ経済は、父たちの価値観をあざ笑うかのように巨大化していった。
 もはや日本の伝統的な価値観は戦後の経済合理主義の社会にあっては無用の長物化してしまった。
 豊富な資金とセンス、頭の回転の早さと数字を的確に読み取る能力、そして相手を説き伏せる言語能力、父たちの世代には、どれもこれも大して価値のあるものではなかったものばかりである。
 父たちの世代は経済合理性を享受しながらも、自分たちの依って立つ精神世界を自ら蝕んできたのだ。
「何をするんやの。」
 父が何を考えているかちょっと興味があった。
「何でもいいから埋め戻せや。」
 父はやはり健在であった。

 きれいさっぱり埋め戻した土地に、四寸×六寸の大きな梁を置き始めた。
「どすん、どすん」
 二人でやっと持ち上がる梁は地面に置くと、ちょっと蹴飛ばしたくらいでは、なかなか動きそうになかった。
「なるほど」
 父のやろうとしている事はすぐに私にも理解はできた。
 型枠を組もうにも溝は掘れないし、穴を掘って柱を埋める事もできない。
 そうなれば残された道はこれしかなかった。
梁を基礎の代わりにしょう、というのである。
 これは良い。
これは何よりも金がかからなくて、私の要求にはぴったりだった。
 太い梁を地面に直接置いて、これを基礎コンクリと土台のかわりにし、梁に直接細工して、そこに柱を建てて家を立ち上がらせよう、という計画なのである。

 基礎の無い家
根っ子の無い家である。
今の私にはぴったりの家ではないか。
 周りを太い梁が囲み、内側には大小の梁で囲まれた四角型が出来上がっていった。
「よし、これでいい。」
 そう言うと、道具箱から真新しい墨壷を、父は愛しげに取り出した。
 この日のために買い揃えた大工道具の品々が、道具箱にはびっしりと詰まっている。
 ここに来てから早、三ヶ月。
待ちに待った大工仕事の始まりである。
 真新しい木材の匂いの代わりに、懐かしい墨の香りがあたり一面に漂った。
 高校生の林君がねじり鉢巻に、鉛筆を一本頭のところに指して、くわえ煙草をしながら墨の糸の端を押さえている。
「おーい、しっかりおさえていろよ。」
 私は「ぴーん」と張った墨の糸を思いっきり放した。
 いつのまにか手足が軽くなり、背がしゃんとしていく自分の姿を私は感じていた。

・・・・・つづく

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