おけら史:さらば、おけら山荘 《vol.6 五右衛門風呂》 山崎一之
August 11, 2003
夏は一瞬の内に過ぎていった。
赤蜻蛉が、まるで地底から涌き出てきたように、大空に群れ飛んでいる。
何も生えそうに無かった石ころだらけの畑のそこかしこに、雑草が少しずつ伸び始めていた。
畑の中に一歩足を踏み入れると、赤茶色した大小の石ころの上から、赤蜻蛉が次々に飛び立っていく。
少しでも足を止めようものなら、肩や頭の上にゆったりと、赤蜻蛉が体を休めにやって来る。
「んてこった!」
何か無性に腹が立ってくる。
別に、肩に止まりに来る赤蜻蛉に手も足も出ない自分自身に腹が立っているのではない。
こんな世界を二十数年も知らずに来た自分の馬鹿さ加減に腹が立つのである。
「いつまで小便をしているんだ。」
背後から現実主義一本やりの父の声が私を呼んでいる。
体をぶるぶると振るわせて、最後の一滴を振り払うと、来年はここいら辺にじゃがいもでも植えようと、位置関係をしっかりと、頭の中に叩き込んでおく。
一滴の小便も、一発の屁も無駄には出来ない心境である。
「ぼさぼさしてねぇで、風呂桶を早く捜してこねぇと、仕事が終わらねぇじゃねぇか」
別にさぼっている訳ではなかった。
私にとってはこうやって畑の真ん中で赤蜻蛉に囲まれながら、イメージに耽ることも、重要な仕事のうちなのである。
夏休みが終わると、
「又、来年も来るから。」と、言い残して、光ちゃんは帰っていった。
それからというもの、土方と家の方の仕事では、なかなか予定通りには進まず、父もかなりいらいらしていた。
ここ二、三日、どんな風呂にするのか、父と良く話したが、ドラム缶の風呂はよした方がいいと言う結論に達した。
ドラム缶の風呂は丸太小屋と同様、小さい頃からの憧れであった。
畑仕事を終えて野外で入るドラム缶の風呂。
下にはすのこが敷いてあり、ちょっと囲いなどして、できたら犬や猫達も一緒に風呂に入れたりして……等々と思っていたが、現実にはちょっと無理があった。
まず、風の吹く日もあれば雨の降る日もあるということ。
そして、ここは北陸。十一月になれば雨と霙と雪の毎日である。
その上、ドラム缶の風呂は長持ちしないのである。
「露天風呂は無理だ。」
父は断定的に言い切った。
「五右衛門風呂がいい。」
父には珍しくドラム缶風呂の代案をすぐに出して来た。
五右衛門風呂はもしかしたら父の幼い時からの夢だったのかもしれない。
「じゃ、夏山に行って捜してくるわ。」
夏山鉄工所は様々ながらくたが、所狭しと堆く積まれていた。 鉄骨やパイプの切れ端がいたる所に転がっている。
バッテリーや解体した車のエンジンが野晒しになって、黒い錆汁があちこちのパイプの口から漏れ出ている。
特にドラム缶の山は壮観であった。
ドラム缶の山を物欲しそうに見ていると、
「ドラム缶が欲しければいくらでも分けてやるざ。」
夏山のおじさんは気軽に話しかけてきた。埃まみれになったフォークリフトに乗りながら、
「風呂釜ならドラム缶の山の向う側にあるかもしれないなぁ。」
と、見事に積まれたドラム缶の山を指差した。
ドラム缶の山の後ろに回ると、そこもまさに鉄片の墓場そのものだった。
運が良い時は運が良いもので、その墓場のちょうど中央に、私を見つけてくださいと言わんばかりに、風呂釜が三つも無造作に転がっていた。
一つはひびが入っていてまるで駄目だが、残りの二つは使えそうである。
二つのうち割合新しそうな方を選んで分けてもらうことにした。
「こんなもん、何に使うんやの?」
夏山のおじさんは興味深そうに聞いてきた。
「勿論、風呂釜ですが」
「風呂釜にするって言うたかて、こんなもんじゃ、すぐに漏れてしまうがの。」
「それでもいいんです。」
尚も訝しげに声をかけてくる夏山さんの言葉を遮るように、
「この釜、いくらですか?」
と、尋ねてみた。
「使えるものなら、一万円も置いていけや。」
夏山のおじさんは、さらりと言ってのけた。
「た、た、高い!」
と思ってみても後の祭。
相手にとっては、私が価値を見つけて売ってくれと言うからには、高い値段をつけるのが当たり前なのだ。
「もう少し安くして!」
と言えない自分が情けない。
金が無いなら無いで、その旨をしっかり説明し、何とかして安くしてもらえるよう頼むべきなのだ。
その為に鉄屑屋へ来たのじゃなかったのか。
夏山さんにとっては、風呂釜が千円であろうと一万円であろうと、あまり問題は無い筈である。
そこまでは解っていても「まけて」と言う一言が言えないのである。
「俺はこの二年間、見栄のよろいを脱いできたのではなかったのか……」
肩の辺りの力が「がっくり」と抜けていくのが傍目にも解ってしまうぐらい落ち込んでしまった。
家の方にかあちゃんがいるから、そこでお金を払っていってくれと言う。
軽トラックに釜を積んで家の方に行くと、夏山のかあちゃんが鼻眼鏡をかけて帳面をつけていた。
「すいません、この釜をもらっていきます。」
そう言うと、夏山のかあちゃんは顔を上げてボールペンを置くと、軽トラックの傍に品定めにやってきた。
「何にするんや?」
気さくで、とっつき易いおじさんに比べ、かあちゃんはぶっきら棒そのものである。
「風呂釜です。」
私は少々、「むっ」として答えた。
「すぐに壊れるよ、千円やな。」
と、ぼそりと言った。
「千円って……。おじさんは一万円だって言ってましたが……。」
おばさんは、馬鹿だねぇこの男は、と言うような顔をして、まじまじと私を上から下まで見下ろすと、
「一万円払いたければ払って行けばいいよ。」
と言って、又机の前に向かった。
人は見かけによらぬもの、というより、まだまだ風体に騙される自分が恥ずかしい。
一人前になる道は遥かに遠い道のりだ、としみじみ思った時だった。
「よーし、最高の五右衛門風呂を作ってやるぞ。」
千円札の向うのおばさんを拝みながら、体中に力が溢れて来るのを感じていた。
秋も真っ盛りの十月の初めのことであった。
・・・・・つづく






