おけら史:さらば、おけら山荘 《vol.7 廃材拾い》 山崎一之
August 11, 2003
「おい一之、来ているぞ。」
父が嬉しそうに用事先から帰ってきた。
「今日は二山だ。いい垂木と柱が有りそうだぞ。すぐに車を用意しろや。」
父は作業着に着替えるのももどかしそうにズボンのチャックを上げながら、私を促した。
「よっしゃ、行こうぜ。」
ナンバープレートも無い古々の一トン車に雪道用のチェーンをはめて、大きな音を轟かせながら、一キロ程離れた埋立地に向かった。
そこの埋立地では、土砂に混じって、時々廃材を捨てに来ては火をつけて燃やしていた。
火をつけるまでの数日のうちに廃材を取りにいくと、実に様々な物が手に入った。
垂木や柱は勿論の事、ベニヤや床板、建具やタンス、それに新品のタイルの流し台や、新品の便器が落ちていた時には思わず、「やった!」と、叫んでしまったほどである。
金額にして一車、二万円から五万円ほどの価値はあっただろうか。
多い時には三車分ほどの古材が手に入った。
初めて廃材を拾いに行ってから十年ほどは拾いに行っただろうか。
ところが二人の話がきっかけで、私は物を拾うという行為をピタリと止めてしまった。
一人は横山さんという、『三国焼』を焼いている人の話からだった。
横山さんも私と同様、何でも自分で作ってしまう人で、作業小屋から内装まで、殆ど拾ってきたもので間に合わせていた。
父とたまたま横山さんの作業場を見ては、
「横山さんの作業場よりは、うちの方がよっぽど上手く出来てるなあ。」
と、父子で密かに自慢していたものである。
横山さんの作り方はいたって簡単明瞭。
溝やほぞなどの細工は一切せず、全部チェーンソーのぶつ切りである。
止めはカスガイとハゴイタに釘。
そのぶつ切りの作業小屋でロクロを廻し、釉薬を塗り、三国焼を焼き上げるのである。
時々、窯出しの手伝いなどをさせてもらうが、
「これは駄目、これも駄目……。」
と言っては、無雑作に作品を叩き割っていく横山さんの姿と、廃材を拾う時の横山さんの姿とは、どうしても同一人物とは私には思えないのである。
窯出しが終わり、横山さんの目に叶った作品を棚の上に並べた時の少年のような満足そうな姿を見たりすると、人間の持つ不思議さに心打たれさえするのだった。
その横山さんが、或る日お茶を飲みながら、しみじみと溜息混じりに話し出したのだった。
「この頃息子が俺と一緒に外に出たがらないんだよなあ。息子が『お父さんと一緒にいると、何でも拾ってくるから、僕恥ずかしいよ』って言い出して、俺も考え込んじゃってさあ。」
横山さんが父親として悩んでいる。
これは、私には意外だった。
横山さんは見栄も外聞も無く、ストレートに行動を起こす少年のような心を持った人だと思っていたからだった。
だから横山さんには三人の子供がいるが、実は横山さんを加えると、四人の子供達がいる家という印象を持っていたのだ。
その横山さんが子供の成長とともに、自分が必要とあらば見栄にも甘んじる『父親』になろうか、と悩んでいるのである。
人は時が来れば大人になるのではなく、愛しい者を持って初めて自分を変える事の出来る大人に育っていくのだと、横山さんの話を聞きながら、私はひどく感動していたのだった。
もう一人は藤田さんの一言だった。
藤田さんは前田さんと並んで、福井県の牛飼いの代表格のような人であった。
今から十四年程前にトラクターの事故で脊髄をやられ、寝たきりになってしまったが、藤田さんにも様々な事を教えてもらった。
草刈作業を鎌や草刈機でやっていると、
「山崎、そんな事は奴隷のやる仕事や。奴隷に甘んじてはあかん。」
藤田さんはその言葉通り、あらゆる農作業機のパイオニア的存在であった。
バインダーもコンバインも乗用トラクターも村で一番最初に導入してきたのも藤田さんであった。
機械が好きだと言うよりも、寧ろ、機械を上手に使いこなす事により、農民という新しい像を頭の中に描いていたのだと思う。
その藤田さんが或る日、
「山崎なぁ、お前が金の無いのはよくわかるが、いつまでも物を拾って来たり、中古の中古のような車にしがみついていると、そういう人間になってしまうぞ。」
と、言われたことがある。
この言葉は時が経つにつれて味わいのある言葉になってきた。
十五年前に家を新築した時、一番驚き、喜んでくれたのは藤田さんだった。
今でも乗用車は中古であるが、軽トラックと二トンダンプは新車で購入するようになった。
藤田さんの一言が脳裏にこびりついていたからである。
「無理をしてでも新車を買えば、その新車を乗りこなせる人間になれる。そうやって村で一人前として認められ、成長していくものだ。」
横山さんと藤田さんの話から、廃材拾いは止めてしまったが、止めたのはこれから十年後のことである。
第一の家造りから、その後、三軒の牛小屋と、もう一軒の第二の家造りが終わるまで、廃材拾いは止めるわけにはいかなかったのである。
「大漁!大漁!」
いまにも壊れそうな一トン車に廃材を満載にして、父と私は口笛でも吹きたい気分であった。
秋も深まり、もうそろそろ冬の足音がすぐそこまで近づいてきている十月末の出来事だった。
・・・・・つづく






