おけら史:さらば、おけら山荘 《vol.8 雷鳴》 山崎一之

August 11, 2003

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(1)


 十月も末になると、家の外装は殆ど仕上がってきた。
 あとはタイル貼りと壁塗り、畳のはめ込み等、内装作業を残すだけとなった。
 十一月十日の日のことだった。
父と押入れの中段を作る作業をしていた時だった。
 突然、「バリバリバリバリ……」と言う激しくトタン屋根を叩きつける音にびっくりして戸を開けてみると、みるみるうちに、赤茶けた石ころだらけの土地が、霰で一面真白になってしまった。
 冬がそこまでやって来ている。
父と思わず顔を見合わせながら、底知れぬ緊張感に襲われた。
 父も私も雪の持つ本当の怖さを知らない。
雪が積もればきれいだなあ、ぐらいにしか実感として沸いてこないのである。
 そんな私達の度肝を抜くのに充分な迫力があった。
雪が降り始めるまでには、なんとしてでも家を完成させなければ、と緊張感は一気に高まった。

 その日を境に天候は時雨模様の毎日になった。
所謂『能登日和』と言われている天気模様で、北風が強まり、一日のうちに、晴れたり曇ったり、霙混じりの雨が降ったりと、目まぐるしく天候が変化するのである。
 加えて、腹の底まで響くような音を轟かせながら『ピカッピカッ』と光る雷と稲妻は、辺境にいる心細さをいやが上にもかきたてるのである。
 が、一方、天地を引き裂くような稲光りと大地を揺り動かすような雷鳴を聞きながら、内心、断水になる心配も停電になる心配もねえや、と思わずにはいられなかった。
 次の日からは玄関先に一斗缶を置き、その中でガンガン火を燃やしながら暖を採ることにした。
 稲光りのおどしに尾っぽを巻いて逃げ出すわけにはいかなかった。

(2)


「一之、一度タイル屋へ聞きに行ってこいや。断られてもともとだからよ。」
 父はいつのまにか私のペースにはまってきたようだった。
 父はタイル屋へ行けば、半端なタイルが余っているはずだ、と言うのである。
 タイルは普通、一箱単位で注文するため、一箱で足りなければ、又一箱追加注文しなければならない。
 その為、必ず三十センチ四方のタイルが、二、三枚から多い時には七、八枚ぐらい余る筈だと言うので、半信半疑ながら、町のタイル屋さんを訪ねてみると、本当に、タイル屋さんの小屋の片隅に、山のように余ったタイルが積み上げられていた。
 捨てに行くにもお金がかかるし、勿体ないから何処かで使おうと思うのだが、なかなか使う機会が無いのだと言う。
 五千円払えば好きなだけ持っていっていいと言う。
 おやじさんの気の変わらないうちに、と、その日は単車でタイル屋さんと山まで、五往復ほどして、大量にタイルを仕入れて来た。

 タイル貼りは根気のいる仕事だった。
モザイクの小さなタイルは三十センチ四方になっていて貼りやすかったが、十センチ四方の大きなタイルは、一枚一枚いかなければならなかった。
 どうにかこうにかタイルを貼り終え、仕上げに白セメントで目地を詰め、最後の仕上げにはぼろ布でタイルをこすり上げると、美しいモザイク模様がくっきりと浮かび上がってきた。
 トイレ、風呂場、台所と、ピカピカのタイル貼りの完成である。
 ただ、よくよく見ると、少しずつ、或いは大胆に色模様が違っているが、まあそれは愛嬌というもの。
 父の発想の大勝利であった。

 壁塗りは、父が二十三才で兵隊に徴用されるまで左官屋をしていたと言うだけあって、さすが『プロ』というほどの腕前だった。
 下塗り、中塗り、そして上塗りと、期間を十日程空けて仕上げていくと、柱の隅々が次々に隙間なく塗られていき、急に家らしくなっていった。
「大工には家は建てられねぇが、左官には家が建てられる。」が、父の口癖だった。
 父の風呂場のレンガ積みや、壁塗りを見ていると、成る程と、私を納得させるには充分な仕事振りだった。

 最後の最後は畳をはめ込む作業である。
 三国町の隣町は芦原町と言い、北陸有数の温泉街である。
 芦原町の旅館のどこかで、毎日、畳替えは行なわれていた。
 新品同様の畳を二十枚と半畳を二枚、前田さんの伝手で手に入れる事ができた。
 ところが、畳を敷き始めて、はたと困ってしまった。
寸法が合わないのである。
 どんな並べ方をしても微妙に合わないのである。
「うむ……。」
 父も私もしばし絶句。
 これを畳屋さんに持っていけば加工賃を取られてしまうし、新しい畳ならいざ知らず、こんな古畳を加工してくれるかどうかも判ったもんじゃない。

 実はこれは関東間と福井間の寸法の採り方の相違に原因があった。
 中心から中心までの寸法を採る関東間に対し、正味の寸法を採る福井間とでは、福井間のほうが僅かではあるが寸法が長めになるのである。
 その僅かな寸法採りの違いが畳がはまらない原因であった。
 畳を縦にしたり、横にしたりして、しばらく試みたが、どうしても畳ははまってくれない。
 最後の手段である。
「親父さん、これしかないよ。」
「又そんな滅茶苦茶を言う。もうお前なんかと二度と仕事はしたくねぇ。」
 嫌がる父を説得して、最後の断は私が下した。
「柱を畳の当る部分だけ削ろう。」
 かくして柱の畳の当る部分が全て削られた。

・・・・・つづく

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