日本経済と農業 vol.3
January 12, 2005
(「福井の科学者〜地域に根ざす科学者運動〜」No.90/2003年2月掲載)山崎一之
3) 日本の農業
簡単二位間、日本の国のおかれている状況を見渡してみたが、具体的に農業はどういう状態におかれているのかを分析してみたい。
日本農業の分岐点は今から34年ほど前の減反政策からであった。それまで作れば売れた農作物が作っても売るのが難しい時代に突入した。まさにその分岐点だったのである。
政府はその時いずれまた、作付する時代が巡ってくるとしても、減反政策を取ったのであるが、34年たった今でも、その時代は到来しないばかりかますますその時代はとおざかっていく感は否めない。その時点から農業は社会から徐々に徐々に排除される立場にたたされていくのである。政府の読み違いは一重に政府が悪いわけではなかった。その後20余年足らずで円が1ドル360円から3倍もの120円前後になるとは誰にも予想できなかったからである。ただ、その間、農林省は他のどこの省よりも外国の動きに鈍感だったのは事実である。ということは、ヨーロッパとアメリカの農業における様々な国家間の貿易ルールを日本政府は見事に無視しつづけてきた。なかでもガッド・ウルグアイランドにはじまったWTOのルールを国は個別農林省問題として農林省にまる投げしたため、農林省としてはこの30余年一方的に市場開放を押しつけられつづけなけらばならなかった。ヨーロッパ各国はが世界大戦の経験をへて、国家自給率を100%近くにまで高めている国家体制を理解できず、いたずらに自給率を下げてきたのは、農林省一省の問題ではなく、欧米と対等に国家として並び立とうとした時に初めて味わう国家体制としての欠陥であった。
ヨーロッパ諸国は、第二次世界大戦後、二度とヨーロッパ大陸を戦火で踏みにじらないという決意の元、戦後復興を始めるのだが、各国の足並みが揃うほどお互いを信じていたわけではなかった。ここにアメリカが一枚加わることになるのだが、まさかEU統一国家にむかうとは当時誰も想像がつかない事だった。つまり、アメリカは莫大な戦後復興基金をヨーロッパ共通基金として拠出し、ヨーロッパの各国が共通の政策を遂行し平和で安定した国を超えた世界を創造していかなければならないという現在のEU統一国家思想を植え付けたのは、他ならぬアメリカだったのだ。その後のEUヨーロッパの国家体制を理解するのにその点は極めて重要である。
日本の農政も戦後農村が重要な地位を占めるのはヨーロッパと同じだったが、当時、圧倒的な食糧不足を解消する事を国の中心課題としてすえ、その解決に全力を傾注することになる。
その農業政策が戦後20余年で花開き、減反せねばならない時代を迎えることになるのだが、花が開いた後の政策を農業政策としてだけしかとらえなかった事が農業問題を解決不能な道へと導くのである。それがどういうことかというと、減反政策以後30余年たった現在でも食料増産対策としてしか農業政策をとれない政策の貧困さがそこにある。食糧が余っても食糧増産政策なのであり、かといって自給率は40%を切るという矛盾を誰も説明し得ないのは政府関係者だけでなく、ほとんどの日本人が国家体制を世界的に視る視野を育ててこなかった知的貧困が原因なのである。
再び決してヨーロッパに戦火は起こさない。そのために、イギリスはヨーロッパの為に…あるいはフランスは…ドイツは…と言われれば、アメリカはヨーロッパの国々に圧力をかけにくいことは必至である。特に注目に値するのは戦後数年すると戦火を起こさない理由と、環境を守るということが同一線上で語られ、現在になると環境を守ることが、ヨーロッパだけでなく、世界の平和につながるという動かしがたい真実になってきたという事である。ヨーロッパの農村はそのための中心的な存在として、その後、安定した成長をつづけるのである。ヨーロッパ各国の不耕期による河川浄化製作や農薬や化学肥料の制限による安心安全政策、グリーンツーリズムによる都市労働者や学童達の健康増進、自然教育、自然エネルギーの農家委託政策などなど。農村の持つ多面的機能を発揮させるための政策が農林省を超えて日本でいう建設省、国土開発庁、科学技術庁、労働省、文部省、通産省など他省庁のきめ細やかな農村維持政策がヨーロッパ諸国民だけでなく、アメリカ国民にさえ支持されているのである。
ヨーロッパの農業政策と日本の農業政策の決定的相違はこの点なのである。日本一国のための自給率向上や田んぼの持つ多面的機能のため輸入を制限するというご都合主義的言い訳では、洪水のごとき輸出によって世界第二位の経済大国としてアジアに君臨する日本はどこの国も納得でいないのである。
日本の体制がヨーロッパやアメリカと同じ土俵の上にあがった時、その歴史の浅さにため息が出るというのは随所にみられ、中でも縦割りの省庁優先の行政システムは早急に変革しなければならない課題であるが、結論としては省庁の名前を変えるのが関の山で、何もできない、あるいは、そうするには数十年から数百十年かかるだろうという哀しい見通しだけである。
ただよりあえず国内政策だけでも変える方法はある。食糧増産政策から環境政策に変更すれば、国内の消費者にだけは同意を求める事は可能なはずである。田んぼの減反補助金はいずれ廃止の方針である。この廃止の方針をスムーズに行うには、田んぼを自由に作らせ、段階的に有機に近づくほど、環境維持補助金として環境庁からその資金を出させる以外方法はないだろうと思う。そうすれば、日本の北海道、東北、北陸を中心に慣行農法が行われ、価格は下落し、他の地域では有機米で作るしか術はなくなり、その有機米にはきちんと環境維持金として国が補助金を支払う。一俵の価格差を環境維持程度もうければ、全体として安全な食糧と安全な国土が維持させるより経済的である事は確かなのである。この減反政策廃止を起点に、政策を見直していけば近い将来、日本もアメリカやヨーロッパ、アジアに農業観戦を張れる国に近づいていくに違いない。 つづく・・・






