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May 28, 2003

おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.6 恩を返していく人生》 山崎洋子

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「家族の猛反対」

 仕事をやりながら結婚するしか方法がないかしら・・・・。結婚も仕事も子育ても、みんなやりたいと思っていた。けれども、東京と福井では、通うのには遠すぎる。
 「どうしよう」
 彼に相談すると、彼は事もなげに言った。
 「仕事しながら結婚すればいいじゃないか。結婚しても、別に一緒に住む必要なんてないんだから、きみはきみでテレビの仕事をすればいい。俺は俺で、三国で百姓をやってるから」
 なるほど、彼の言うことはときどきめちゃくちゃだが、妙に納得させられるものがある。結婚するからといって、別に一緒に住む必要はないのかもしれない。会いたいときにお互いに連絡をとり合って、どこかで会いさえすれば、気持ちは通い合うだろう。
 

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おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.5 プロポーズ》 山崎洋子

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「不思議な生き方」

 10ヶ月ぶりに仕事に戻った。
 キュルキュルまわるテープレコーダの音が懐かしかった。何もかも新鮮だった。ほこりっぽいスタジオの空気でさえ、疲れていたときには雑音に聞こえていた音が、生き生きと響いていた。もう一度やれる。新しい何かが見つかりそうだった。私は自分の体を気づかい、食べ物を気にしながら、与えられた仕事を楽しんでいた。失敗したら、またやりなおせばいい。そう思ったら、肩の力がぬけて気が楽になった。不規則な時間を避けて、なるべく昼間の時間帯の仕事に変えてもらった。食事と仕事と睡眠と、そのバランスを十分に考えて働くようになった。
 父が亡くなってから、小松にいる間、月に一度か二度、山崎君が見舞いにやってくるようになっていた。時間があるときは、映画をみたり、今まで読んだ本のことを話し合った。物の見方や考え方が私たち二人を合わせると、物の二面体のようだった。両方の見方や考え方を合わせるとちょうど、一つのものが見えてくる。物事に行きづまって悩んでいるとき、自分自身の出口を見つけるには最適の相手だった。黙っているときは、いつまで黙っていても平気だったし、しゃべりたいときはいつまでもしゃべっていた。だれといるより気が楽で、一緒にいるとほっとした。不思議な友達だった。

 大学時代、山崎君と一緒に映画を撮ったことがあった。大学闘争の最中、恋愛か革命か、バリケードの内側で自分の人生を語っていた先輩たちの中で、恋愛に闘争に、アルバイトに、教育実習にと、何でもあたりまえのように受け入れて、人生をおおらかに享受しているような先輩がいた。そんな先輩を通して大学とは何なのか、政治とは何か、教育とは何なのか、青春の生きざまを描こうとしたものだった。
 山崎君はカメラ、私は音、数人の仲間たちで、先輩を追い始めた。好きな女の人と一緒に暮らし、今日はデモ、明日は土方、明後日は家庭教師。前日はかつて教育実習で教えた子供たちが修学旅行にやってきて先輩のまわりから離れない。そんな姿をカメラにおさめ、言葉を録音していく。
 大学とは、大勢の人と人とのぶつかり合いの中で、まさに生まれ育った環境の中で築かれた個人と個人のとらわれの意思を解放し、新たに、物の見方や考え方を再構築していく場だった。そのための学問であり教育だった。そのことを先輩に取材する中で感じさせられていったのだが、撮影も終了段階に入ったある日、突然山崎君が学校へ来なくなった。だれに聞いても消息がわからない。先輩も知らないという。
 大学を地域に開放することと学問の自由等を求め、大学立法に反対した学生たちの運動も下火になり、半年ぶりに授業が再開された。久しぶりに学校へ出かけると、キャンパスがやけに騒がしかった。裏門の向こうに装甲車が並び、学生たちが騒いでいた。教育学部の授業中、突然機動隊が教室に入り込んできて、数名の学生を捕まえていったのだという。
 学部長の授業のときに、学生たちが今まで提出した大学の問題を、どのように受けとめているのか、解決したのか、話し合いの場を持って答えてもらいたいと数名の学生が申し出た。学部長は彼らの話も聞かず、理由も言わず、警察に通報し、機動隊を教室に入れ、大勢の学生の前で彼らを有無を言わせずに連行させてしまったのだった。大学が自らの努力と工夫で問題解決することを放棄し、警察の力で学生たちを取り締まるようになってしまったのだ。全国の学生たちが反対していた大学立法とはそういうものだった。

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おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.4 父の死》 山崎洋子

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「父の言葉」

 体が動き出すようになると、猛烈に仕事がしたくなった。テレビの番組を作るという虚構の世界の中で働くことが、ほんとうに虚構なのかどうか、もう一度確かめたくて、休んでいる間に考えていたことを仕事の中で生かしてみたくなった。それでだめならまた考えよう。いそいそと旅立つ用意をしたいた私の傍らで、帳簿の整理をしながら眺めていた父が言った。
 「東京行かんと、一緒に家におらんか。醤油屋が嫌なら、おまえはせんでもええ。学校の先生でも、何でも好きなことすりゃええ。醤油屋は婿さんにやってもらえばいいやんから。どうや家におらんか」
 うしろ姿がいつになく寂しそうだった。今を逃せば、父とじっくり話し合う機会ももうないだろう。これまで同じことを何度、言い合ったことか。それでもきちんと話し合っておかねばならなかった。
 

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おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.3 出会い、そして再会》 山崎洋子

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「人生は味わって生きるもの」

 心も体も静かに休ませている間に、一つ一つの細胞の古い皮がむけて、少しずつ再生し始めたような新鮮な気持ちになってきた。しおれかかった植木が雨をうけてすくっと立ち上がっていくように、萎えていた心が生気を取り戻し始めていた。私は家の中で、生まれて初めて何にも縛られることなくぶらぶらと、本を読んだり、眠ったり、ときには屋根の上でギターをひいたり、絵を描いたりして過ごしていた。
 そんなある日、かつて牧場を開くからと、カンパを募り歩いて、仲間たちの前から姿を消した山崎君が、ひょっこりバイクで現れた。荷台には牧場でとれたという、大きな、形の不ぞろいのジャガイモを段ボール一杯積んでいた。
 

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おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.2 虚構の世界》 山崎洋子

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「突然の病」

 慣れてしまえばそんなものかもしれないが、限られた時間の中で、次から次へと小刻みに神経を働かせ、時間に追われ、番組を作る仕事は、不規則な仕事だった。仕事が不規則になると、生活のリズムも、食事時間もそれにつれて不規則になる。
 朝は時間ぎりぎりまで眠り、パンにバターをぬって、牛乳を飲むと、リンゴをかじりながら飛び出していく。昼は近所の食堂で、時間を見ながらラーメンや、うどんかそばをかっ込む。せいぜいゆっくり食べて、野菜いためかニラレバーいためライスか定食。夜はときどき先輩や仲間たちに誘われて飲みに行く。食べても焼きとりか焼き肉かおでんだ。たまには友達からの誘いの電話がかかってくる。材料を買って自分で食事を作るということが少なくなった。いつの間にか食べ物が偏ってきた。
 

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おけら史:都会暮らしを捨て、新天地へ 《vol.1 都会暮らし》 山崎洋子

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「見習い音響ウーマン」

「五、四、三、二、一・・・・・・」
 張りつめた緊張感の中のスタジオに、秒読みの声が響く。ディレクターの「キュー」が飛ぶ。テープデッキのボタンを押す。テーマ音楽が流れ、タイトルが映る。
 私はかけ出しの音響効果マン、効果ウーマンの卵だった。

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私たちの視点から見た、今の様々な農業や食についての考え方を中心にご紹介していきます。何かの参考になれば幸いです。

・『ほんとうの話 BSEが告発した現代文明』 おけら企画 
・日本経済と農業(2003.2 福井の科学者)
・国産グラス・ビーフ生産を
・277分の1の奇跡(ズバリ直営)
・報道されない事実(ズバリ直営)
・データが欲しい(ズバリ直営)
・狂牛病-経済の死角(ズバリ直営)
・理不尽な費用負担(ズバリ直営)
・広がる汚染の裾野(ズバリ直営)

May 27, 2003

家族

じっちゃん おけら史の「さらば、おけら山荘」をご参照ください!
山崎一之

神奈川県茅ヶ崎生まれ。早稲田大学教育学部中退。
38年前に福井県坂井郡三国町に移り住み、開拓農業をはじめる。おけら牧場を経営し、現在は、牛の繁殖と飼育・育成と地ドリ養鶏を軸に、無農薬の合鴨米や野菜などをつくっている。また、おけら牧場の敷地内に、農業施設のログハウス「ラーバンの森」をつくり、農の研修、おけら塾の主催、地域通貨など、地域循環型社会に向けての実践活動を行う。また、農についてだけでなく、文楽やコンサートなどのイベントもプロデュースしている。日本における有機農業のパイオニア的存在である。三国湊魅力づくりプロジェクト実行委員会の副代表。

おけら生活のモットー(若かりし学生時代の言葉)
『何もいらないから、眠りたいときに眠り、食べたいときに食べ、働きたいときに働いて、遊びたいときに遊ぶ。自分が生きているという実感の持てる生活がしたいんだ。そのためには、だれもいない山の中で百姓をするのが一番だ。牛を飼って、牛糞を堆肥にして畑に入れる。野菜を作って自分の食い物は自分で作る。明かりが欲しければランプをつける、水が必要なら井戸を掘る、必要なものを必要なときに1つ1つ自分の手で作っていく。夕日が沈んだら家に入り、ランプの明かりで本を読む。朝日が昇ったら外で働く。雨が降ったら体を休め、夏は海水浴、雪が降ったら冬はスキー。必要なものを確かめながら納得できる生活をしたいんだ。百姓じゃ食えんと言うてやめたり、都会へ出ていく者が多いのは知っているけど、自分一人食べていくくらい、何とでもなるやろ。農業は人間の生きていく基本や。百姓やりながら、自分に何ができるのか、何をせなあかんのか見てみたいんや。だれか百姓をやるもんもえんと、食べるものと指導する者ばかりじゃ、この国も確実に二十年先はだめになるやろ。』

山崎洋子 1948年石川県生まれ。1971年早稲田大学教育学部卒業後、音響効果の仕事に従事。夫一之氏との結婚を期に農業をはじめ、夫と共におけら牧場・ラーバンの森の経営・運営を行う。全国の農村女性のネットワーク「NPO法人田舎のヒロインわくわくネットワーク」代表理事。雪印100株運動など、食の安全や文化に関わる活動を広く行う。また、農業の合間をぬっての執筆活動も活発に行い、主な著作に、「田舎のヒロイン」「おけら牧場・生き物たちとの日々」「田舎のヒロインが時代を変える」、共著「雪印100株運動〜起業の減点・企業の責任」がある。
山崎美峰 今は獣医として活躍中!
山崎大和 おけら牧場に帰ってくるまでは東京で映像の制作会社に。カメラとディレクションを担当していました。今は、牛、鶏、アイガモ米、野菜などなどおけら牧場の全てに関わり大黒柱として日々奮闘中です。
ロバのタロー、猫のたま、犬のトーマスも大切な家族です。

育てる

和牛たち(30頭)
繁殖用のメス牛が10頭・仔牛20頭育てています。オスは肥育、メスは育成して2〜3回仔牛を生んだ後お肉にしています。いずれも日本黒牛です。牛たちを交代で散歩に連れてい、餌には草と穀物(コムギやトウモロコシ)を使用しています。本来の放牧に近い育て方で「グラスビーフ」をつくっています。
※詳しくは、こちら(「おけら牧場のお肉〜グラスビーフ〜」)

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放し飼いの鶏たち(550羽)
「おけら牧場周辺の草と野菜くず・井戸水・良質魚粉・かき殻・ポストハーベストフリーで遺伝子組み換えではないとうもろこし・福井県の米糠・アルファルファミール・天然の塩・酵素」の餌を食べて走り回っている、平飼いの元気一杯な鶏から生まれる新鮮な卵を作っています。
*今現在、アジアで猛威をふるっている鳥インフルエンザの影響で今までのように放し飼いで外に出ることはできませんが、ハウスの名かをのびのびと走り回っています。
鳥インフルエンザが落ち着いたら、また、外に出してやりたいと思っています。

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また、とりたての卵達を手でひとつひとつ丁寧に洗い、拭いて皆様のもとへお届けしています。

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↑この紙を添えて、お届けしています。

合鴨米

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ハーブ
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無農薬のブルーベリー ジャムもつくっています。
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野菜達 自分たちの食べる分の野菜を有機農法でつくっています。

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しいたけ おけら牧場母屋の裏森でしいたけもつくっています。

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ホワイトアスパラ
2004年春より作りはじめました。収穫できるようになるまで、あと3年かかります。

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May 07, 2003

過去のおけら牧場とラーバンの森関連の本のご紹介

おけら企画 山崎一之・洋子 著作:
『ほんとうの話 BSEが告発した現代文明』 おけら企画 
『われら田舎のヒロインたち』 おけら企画 1988年

その他 おけら企画 山崎洋子 著作:
『田舎暮らしに夢のせて 女のネットワーク誕生物語』 家の光協会 1995年
『田舎のヒロイン日記』
『わたし、牧場をはじめます』 
『田舎暮らしはすてき 牛の尻から世界が見える』 家の光協会 1992年